まいにち奈良づけ♪

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八咫烏神社(宇陀市)

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お店が休みの月曜日。古事記ゆかりの地を目指して宇陀市へ行ってきました!

はじめにご紹介するのは、神武天皇が大和へ東遷する際に道案内をしたとされている八咫烏の化身建角身命(たけつぬみのみこと)が祭られているという「八咫烏神社」です。
八咫烏(やたがらす)といえば奈良県民の私はすぐにお酒をイメージするのですが、日本サッカー協会のシンボルとしても有名です。

八咫烏神社 サッカー協会シンボル
日本サッカー協会HPより

私の勝手なイメージで八咫烏神社は山奥のへんぴなところにあるのかと思っていたのですが、道沿いに分かりやすく建っていました。(とか言いながら一回通り過ぎたんですけどね…^^;)

▼道沿いにある一の鳥居(写真撮り忘れました^^;)をくぐって長めの参道を歩くとこちらの場所に着きます。
八咫烏神社

▼階段を上った右手に社務所があります。(左手の窓が空いている場所辺りに)八咫烏神社のご由緒などが書かれた用紙(無料)が置かれていたので、ありがたく頂きました^^
八咫烏神社

▼八咫烏神社の案内板
八咫烏神社

案内板には以下のように書かれています。

武角身命(建角身命)を祭神とする八咫烏神社は、『続日本紀(しょくにほんき)』に慶運2年(705年)9月、八咫烏の社を大倭(やまと)国宇太(うだ)郡に置いて祭らせたことがみえ、これが当社の創祀となっています。江戸時代(文政年間・1818~1830)には、これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。その後、期限二千六百年を記念して社域を拡張・整備し、現在に至っています。
『古事記』、『日本書紀』によると神武天皇が熊野から大和へ入ろうとしたときに道案内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏(武角身命の化身)です。八咫烏は、中国の陽鳥としての考え方が影響しているようです。
八咫烏伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、山城の賀茂県主(かものあがたぬし)が有力となってからは、賀茂氏が祖とする武角身命が八咫烏となったようです。


熊野の山中で停滞する神武天皇一行を大和へと道案内し、天皇の勝利に貢献した八咫烏の化身である武角身命(たけつぬみのみこと)は、このような由来から古来より軍神として崇拝され、南北朝時代には後醍醐天皇の篤い信仰を受け、社は多いに栄えたと伝えられているそうです。

八咫烏神社

しかし、南朝の衰退と度重なる戦禍に見舞われて以後、江戸時代中期まで廃絶寸前の状態となり、いつしか「やたがらす」が訛って「をとごろす」という俗称が残ったほど、社が衰微していたそうです。

ちなみに八咫烏の化身の武角身命は京都にある下鴨神社の祭神としても有名です。
八咫烏神社と下鴨神社の神紋が同じ「」をかたどった紋であることからも、下鴨神社と古くからつながりがあったことが推察されています。

▼再び階段を上って二の鳥居をくぐると左手に手水舎があります。
八咫烏神社

境内は手水舎と拝殿というシンプルな造りになっています。

▼手水舎奥には石碑が…
八咫烏神社

一体何と書かれているのでしょうか…。色々な所で調べてみましたが詳細は分かりませんでした^^;

【追記】
twitterを通して宇陀市「記紀・万葉」マスコットキャラクターの八っぴー(uda_yappy)さんから情報を頂きました!(以下転載)

石碑は、地元の池上出身で初代ロート製薬社長の山田安民氏が詠まれた歌で、昭和11年の大造営の記念碑とのことです。「いまもなほ神はいまして天かけりわが御軍(みいくさ)を導かすらむ」

八っぴーさん情報ありがとうございますm(_ _)m♪

▼右手には拝殿
八咫烏神社

▼拝殿正面。左右に狛犬があります。
八咫烏神社

江戸時代中期まで廃絶寸前の状態にあった社ですが、江戸時代の文政年間になって、京都の下鴨神社(加茂御祖神社)の神官の目にとまり、その働きかけと在郷有志の協力により再興されました。
本殿が現在のような春日造りに作り替えられたのもこの頃だということです。

▼拝殿奥に本殿が見えます。
八咫烏神社

この本殿の横に旧本殿の石造小祠が今も現存しているそうなのですが、階段の上まで見に行かなかったので写真がありません(*_*)↓
行かれた方はぜひ本殿横をご自分の目で確かめてみて下さい。

狛犬(阿像)
八咫烏神社

なかなかユニークな造形の狛犬です。

狛犬(吽像)
八咫烏神社

おちゃめ。

日本サッカー協会のシンボルマークをモチーフにしたモニュメント
(木陰で見えにくくなっててすみません;)
八咫烏神社

こちらの像は2002年(日韓ワールドカップ大会の年)寄贈されたものだそうです。当時は日本代表の必勝を祈って、このモニュメントの見物に行く人が大勢いました。
拝殿横のスペースにポツンと立っているのですが、神社の雰囲気とはまた違ったポップなデザインが印象的です。

日本サッカー協会は「ゴールに導く神の使い」として、八咫烏をシンボルマークやエンブレムとして採用しているそうなのですが、wikipediaにはシンボルマークに採用された八咫烏について以下のように記されています。

シンボルマークの中央描かれた鳥は、日本神話に出てくる八咫烏(やたがらす)と同一視される、中国古典の三足烏である。これを描いた旗がシンボルマークとして定められ、旗の黄色は公正を、青色は青春を表し、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現している。
これは、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)の漢文学者であり、サッカー協会の創設に尽力した内野台嶺らの発案を基に、日名子実三がデザインしたものであり、1931年6月に採用された[23]。
一説に、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助(内野台嶺の東京高等師範学校の先輩でもある)に敬意を表し、出身地の那智勝浦町にある熊野那智大社の神使である八咫烏をデザインした物[23]とも言われているが、日本サッカー協会から発行された公式書籍などには中村との関連が記載されたことはない。


▼別角度。
八咫烏神社

三本足のカラスとして有名な八咫烏。確かに足が3本あります。
八咫烏の咫(あた)とは長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18センチメートル)のことだそうですが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味だということです。

八咫烏はどうして3本足なのか?それに関してwikipediaにはこう書かれています。

ヤタガラスの三本足の意味には諸説ある。 古事記や日本書紀には三本足であるとは明確に記述されていない。 中国では古代より道教と関連して奇数は陽を表すと考えられており、中国神話では太陽に棲むといわれる。
古来より太陽を表す数が3とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説である。
なお、前述のように記紀には八咫烏が3本足だという記述はなく、後世に中国や朝鮮の三足烏と同一視され、3本足になったともいわれる。
ヤタガラスは元来は八田(八旗、八幡)のことであり、八田は八幡宮を創建し、同系列の神社を全国各地に建てていった秦氏の代表的な姓であることから、「秦氏の名前と天皇(大王家)を裏からあやつる烏のイメージを掛け合わせたもの」とし、神話伝承の類似性から賀茂氏と高句麗王族を結びつけ、秦氏は高句麗王族の血を引くとし、これらの高句麗系渡来人と高句麗の建国神話に登場する三足烏との関連や、その渡来氏族自身の朝鮮半島からの東遷に深いつながりがあると推測する説もある。
さらに、秦氏はユダヤ系の血を受け継いで文化も継承しているとしている説(日ユ同祖論)もある。


現在の私たちがイメージする「三本足のカラス」という八咫烏像になるまでにはずいぶんと複雑な過程があったようですね。

▼神社から東の方角を見ると伊那佐山(いなさやま)が見えます。
八咫烏神社

古事記・日本書紀にも登場する伊那佐山ですが、八咫烏神社で頂いた用紙の説明文にはこう書かれていました。

山の頂上には式内社・都賀那岐神社(つかなぎ)が鎮座しておられ、その社殿の横に歌碑が建っています。歌碑には次の通り記されています。

楯並めて 伊那瑳の山の 木の間ゆも い行き瞻らひ 戦へば 我はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が徒 今助けに来ね
(たたなめて いなさのやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやえぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね)

古事記に由来するこの歌は神武天皇が東遷の際、この地に至って鵜飼いをしていた人に食べ物を持って来て欲しいと要望する内容ですが「戦闘に協力せよ」という意味にも採ることが出来そうです。

ところで「いなさ」とは「東南の風」という意味だといわれています。古代の製鉄、砂鉄から鉄の精錬するための「タタラ」には、風がとても重要で、製鉄に由緒のある神社は、東南向きに建てられることが多いそうです。
そんな御縁からか、当地には伝説の刀匠・天国(あまくに)の言い伝えも残されています。(伝説の名刀「小烏丸」は彼の作品と伝えられています)

八咫烏神社から芳野川に沿って上流に向かうと、菟田野区(うたの)に至ります。菟田野は、古来より水銀が産出することで有名で、近年まで大和水銀鉱山がありました。ちなみに水銀とは、古語でいうところの「丹」です。
また、この芳野川を遡ると、宇太水分神社という式内社があります。水分とかいて「みくまり」と読む「水」の神さまです。この水分神社にも伝説の刀匠・天国の言い伝えが残されています。


古代の製鉄と伝説の刀匠と言われた天国(あまくに)の伝説、そして水銀=丹。何だかミステリアスで、古代のロマンを感じるお話です。
そういえば、吉野や宇陀には「丹」とつく神社が多いですね。丹砂から作られる水銀は当時不老不死の仙薬と信じられていたという話も聞いた事があります。

神武軍がわざわざ熊野に回った理由は、金、銀、銅、水銀などの金属資源にあったのではないかという説もあり…考え出すとキリがないですね。


■八咫烏神社の情報■

住所  :奈良県宇陀市榛原高塚42
拝観  :境内自由(無料)
電話番号:0745-82-2046
駐車場 :あり
アクセス:榛原駅から約3.5km
http://www.yatagarasujinja.net
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