大安寺北面中房跡(奈良市)
0 0ささ酒祭りで大安寺を訪れたので、周辺の気になる関連史跡も見て回ることに。
隆盛期には東西に七重塔が建っていて、東西3町・南北5町にも及ぶ広大な敷地を有していた大安寺。現在の大安寺周辺には過去の栄華の跡がそこかしこに残っています。
大安寺の北側にある杉山古墳には瓦窯跡もあるということで、それも是非見ておきたいなぁと周辺を散策。
▼大安寺北側の道路沿いで石標を発見。
周辺には"大安寺"という文字が刻まれた石標が幾つかありましたが、こちらもその一つ。
「南都大乗院門跡大安寺墓肧」…と書かれているのかな?
奈良巡りをするようになってから、道を歩いていて石標を見つけると思わず立ち止まって見てしまうというクセがついてしまったのですが、文字を解読できずに終わることがしばしば(^o^;)
試しにネットで調べてみると「奈良県の道標集め」というブログを発見!!
228-奈良市大安寺の道標-1 (大安寺村役場跡角)
これはすごい!!
興味深くて、他の記事も読んでしまいました。道標の世界も奥が深いです!
大安寺北面中房跡
石標の道を挟んだ向かい側にあるのが「大安寺北面中房跡」です。

"中房"というのはいわゆる"僧房"のことで、お坊さんが起居していた建物の跡ということですね〜。
近くに建てられていた説明版には当時の大安寺に887人もの僧がいたことが記されていたので、往時はこの場所も人の気配がたえない賑やかな場所だったのでしょうね。
▼発掘調査の成果をもとに凝灰岩で当初の基壇と礎石の復原整備されています。

▼またまた石標が!

先ほどの道標を集めておられる方のブログ記事によれば「石清水八幡宮」と書かれている模様。
近くにある八幡神社が元石清水八幡宮だということなので、それに関連する石標だと思われます。

▼西側から撮影

▼「大安寺村役場跡」の石碑も建っていました。

▼説明版

大安寺北面中房跡
(北東中房・北西中房)
天平19年(749)頃の大安寺の縁起と財産を記した目録によれば、当時大安寺には887人もの僧がいました。その僧たちが寺の中で起居した建物が僧房(僧坊)です。
大安寺の僧房は金堂・講堂を囲うように東・西・北の三面に二重に建てられていました(内側の僧房は太房、外側の僧房は中房と呼ばれます)。発掘調査の結果、北東、北西中房とも当初は凝灰岩の切石を積んだ基壇(壇正積基壇)でしたが、後の時代に造りかえられていることがわかりました。大安寺は平安時代に幾度か火災にあい、再建されたことが記録に残っています。調査でも火災の跡が確認されていて、その記事を裏づけていますが、北面中房が平安時代末期以降、再建されることはなかったようです。
ここでは、発掘調査の成果をもとに凝灰岩で当初の基壇と礎石の復原整備を行っています。
杉山古墳と瓦窯跡
「大安寺北面中房跡」を見た後は、杉山古墳と瓦窯跡を見学に行ったのですが…

入り口が閉まっている!?

近づいてみると月曜・水曜・金曜休園の文字が…!!
ガーン!!
▼仕方がないので遠くからズームで杉山古墳を撮影。

見学に来られる方は気をつけてください…。
またリベンジします!!
つづく。
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