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大安寺東塔跡(奈良市)

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大安寺周辺ネタがしばらく続きます。今日はかつて大安寺に建っていたという七重塔跡を訪ねたいと思うのですが、近くにあった神社なども一緒にご紹介しておきます。

▼大安寺の東にある「御霊神社」
大安寺 周辺 御霊神社

以下、境内の案内板より。

御霊神社由緒記

本神社は元石清水八幡宮と称す。(八幡神社)
大同2年8月17日、大安寺の僧、行教和尚が、大安寺の鎮守社として築紫(大分)宇佐八幡宮より大菩薩を勧請せしとき、お供えする御手水閼伽井の水(石清水と号す)を求めて此処に、行教和尚の託宣により獨鈷を用いて掘らしめたところ、清湛な法水湧き出る。
而して遥に男山八幡石清水に通じて、この水の保護を受けんがため、御井戸の守神として、高オカミ命、善女龍王命ニ柱の神を祀られた。
現在農耕神、商い神、御霊神社と崇め奉る宮なり。
其井戸は往時の原形は留めないが今も存在せり。



高龗命 水の神
善女龍王命 雨乞、水乞、止雨乞の神

近くにある八幡神社の摂社でしょうか。「御霊神社」の祭神といえば、井上皇后・他戸親王のイメージでしたが、ここには水に関連する神が祀られています。

▼「御霊神社」のすぐ南には「推古天皇社」
大安寺 周辺 遺跡 史跡

社名の通り、豊御食炊屋姫尊(推古天皇)が祀られている神社です。
今回確認はしませんでしたが、大安寺の西側には「推古天皇社」と対になって聖徳太子が祀られている神社があるのだとか…。
元の社殿は松永久秀の兵火によって焼失し、現在の社殿は明治9年に再建されたそうです。

大安寺東塔跡


さて、いよいよブログ記事のタイトルにもした「大安寺東塔跡」へ。
「西塔跡」の方は立ち入り禁止になっていたので今回は写真を撮っていません。

▼この広場の奥に「西塔跡」があります。
大安寺 周辺 遺跡 史跡

▼そして西塔跡の反対側(東)にあるのが「東塔跡」です。
大安寺 周辺 遺跡 史跡

▼東塔の基壇が復元されています。
大安寺 周辺 遺跡 史跡

説明文も置かれていましたが、ラミネートが剥がれて雨水も染みてしまったのかボロボロになっていました…

大安寺 周辺 遺跡 史跡

▼説明文1
大安寺 塔跡

史跡大安寺旧境内 東塔復元基壇

 大安寺の伽藍(がらん・主要建物のこと)は、大安寺式と称し、南から北へ一直線上に南大門・中門・金堂・講堂を、南大門の南に六条大路を挟んで東西両塔を配した塔院(とういん・区画のこと)を設けています。両塔の基壇(きだん)跡は、早くから知られ、大正10年にまず塔跡が、昭和43年に旧境内全域が国史跡に指定されています。
 塔院の保存整備は、平成19年に開始し、26年に東塔復元基壇とその周辺の広場整備が完了しました。


▼説明文2
大安寺 塔跡

 東塔は、七重塔であったとみられ、発掘調査の所見では、基壇の規模は、約21メートル(70尺)四方、高さ約1.8メートル(6尺)です。
復元基壇は、上部0.7メートルを復元し、下部は、埋まった状態を表現しています。
東塔の初重(しょじゅう・1階部分)は三間四方で、基壇上面の発掘調査で、中央の心柱(しんばしら)、それを囲む四天柱(してんはしら)、さらにその周りに側柱(がわばしら)の礎石を抜き取った跡が見つかりました。側柱の礎石のひとつが残存しており、上面を膨らませて復原しているのは、この礎石を保護するためです。復原基壇の上面には、建てられた柱の位置を円形の石で表現し、円石をつなぐ縁石は、壁を表現しています。
東塔の基壇・初重の規模は、西塔と同じで、東西に同規模の七重塔が建っていたとみられます。


大安寺 周辺 遺跡 史跡

塔の平面規模と高さが比例関係にあるとすると、大安寺の塔の高さは70mにもなるとか!

大安寺 周辺 遺跡 史跡

日本に現存する塔の中で2番目に高い興福寺の五重塔は50.1mですので、大安寺が当時どれほど立派な伽藍を持った大寺であったかが窺えますね。

大安寺 周辺 遺跡 史跡

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