まいにち奈良づけ♪

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「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」 その①(ニホンオオカミの像〜東吉野村役場)

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先週の日曜日(6月16日)に、第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」バスツアーに参加してきました!
天誅組(てんちゅうぐみ)に関してはほとんど無知の私ですが…(汗)勉強も兼ねて今回のツアー内容を何とか記事にまとめられればと思っています。毎度の事ながら少し時間がかかるかも分かりませんが、最後までお付き合い下さいm(_ _)m

第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」

天誅組の記事に関しては、今回のツアーで聞かせて頂いたお話の内容や資料と、舟久保藍さん著の『実録 天誅組の変』の内容を参考にしながら…勉強しながら書き進めていきたいと思います!「天誅組ってなんぞや??」という方も、私と一緒に学んで頂ければと思います^^

ツアー記事の前に…「天誅組(天忠組)」って何?


明治維新の魁(さきがけ)である天誅組。恥ずかしながら…つい最近まで天誅組の名前すら知らなかった私です。(天誅組って、新撰組みたいな感じのもの?…くらいの酷い認識でした。)そもそも天誅組とは一体どんなものなのか?舟久保さんの著書の冒頭には以下のように書かれていました。

◆ 天誅組とは ◆
公家の中山忠光を擁して、吉村虎太郎、藤本津之助(藤本鉄石)、松本謙三郎(松本奎堂)の三人を総裁に組織された尊王攘夷の一団。文久三年(一八六三)、孝明天皇の大和行幸の先駆として五條に挙兵するも京都の政変によって賊軍となり、諸藩によって編成された追討軍によって攻略された。しかし、その四十日にわたる抵抗は幕府の軟弱化を世に示し、彼らの目指した倒幕維新はわずか五年後に成るのであった。


天誅組

少し長くなりますが、頂いた資料からも文章を引用させて頂きます↓



天誅組の変 <1863年、大和を舞台に歴史を動かす一大事変が起きた。>

◆ 志士、結集 ◆
 武力を背景にペリーが開国を要求してきた幕末。開国か蝦夷か。佐幕か尊王か。混乱の中、志士たちは、幕府を倒し新しい世の中をつくることに命をかける。故郷を捨て家族を捨て、脱藩してきた志士たち。桜田門外の変、長州藩による外国船砲撃、寺田屋事件などをへて、文久3年(1863)、いよいよ倒幕への第一歩が踏み出されようとした。それが大和行幸であり、天誅組であった。

◆ 皇軍御先鋒として ◆
 行幸先は大和国(現在の奈良県)。春日大社、神武天皇陵、伊勢神宮を参拝、攘夷祈願を行い、武力倒幕へもちこむ計画であった。そのとき、先に大和国の幕府領を押さえて行幸を迎えようと考えた志士たちがいた。公家中山忠光・土佐脱藩吉村虎太郎・刈谷脱藩松本奎堂・備前脱藩藤本鉄石、河内国水郡善之祐ら約50名は千早峠を越えて五條へ入ると8月17日、五條代官所に討ち入った。そして約七万石の幕府領を朝廷直轄地とし新しい政治機関「五條御政府」を打ち立てたのである。これが天誅組である。


天誅組
左から、中山忠光・松本奎堂・吉村虎太郎・藤本鉄石

◆ わずか一日の差 ◆
 しかし翌日、彼らに届いたのは行幸中止の知らせであった。反対派の公家、薩摩藩、会津藩などが8月18日に宮中クーデターを断行し、行幸の中止・朝廷内の人事変更等を決定したのである。尊王攘夷派公家や長州藩士を中心とする志士たちは京都から追われた。わずか一日で天誅組は、皇軍御先鋒の大義名分を失い、朝廷・幕府から逆賊として討伐を受ける側に立たされたのである。

◆ 幕府軍との戦い ◆
 京都守護職松平容保は、朝廷の命をうけて天誅組討伐の命令を下した。出陣したのは紀州藩、津藩、彦根藩、郡山藩など総勢約一万三千人。天誅組は十津川郷士とともに高取城を攻撃するも敗退する。その後は天ノ川辻本陣を中心に南大和一帯で戦いを繰り広げた。しかし9月14日、追討軍の総攻撃によって十津川へと撤退を余儀なくされ、大峰山系を越えて下北山村、川上村へと逃れた。そして9月24日、東吉野村で待ち構える追討軍と激突の末、多くの隊士が戦死し、天誅組は壊滅したのである。
 天誅組の変は僅か40日で終わったが、それ以後、武力倒幕へと流れが変わり、戊辰戦争・倒幕・明治維新へと世の中を大きく変えることとなった。




書籍『実録 天誅組の変』の帯には「天誅組知らずして、幕末語るなかれ。」との文字が見えます。
幕末と言えば一般的に、坂本龍馬・中岡慎太郎・高杉晋作などの印象が強く(?)明治維新の先陣を切り、維新の礎となって壮絶な死を遂げていった彼ら天誅組の存在は歴史に埋もれがちです。
ですが、本年は天誅組が挙兵してから150年という節目の年です!これを機に彼らの軌跡を辿り、歴史的な転換期を迎えていた当時の日本と、倒幕に命を燃やした若き志士たちに思いを馳せてみたいと思います。

「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」バスツアースタート!


今回のツアーの参加者の方々を乗せたバスは大和八木駅を9時30分に出発!
(駅に着いた時に、私以外の方は既に揃っておられ…私待ちの状態になっておりました事をここで深くお詫び致しますm( _ _;)m申し訳ありませんでした。)

私は一人での参加だった為、バスに乗り込んだ時に空いていた手前の席に座らせて頂きました。この時に相席となった女性の方がとても素敵な方でして…!時間を忘れて楽しくお話をさせて頂きました^^♪
聞けば、なんと「ならどっとFM」で番組も持っておられるそうな!!しかもカレー作りもされているという!!(私、最近インドカレー作りにハマっているので…それを聞いてテンションアップo▽o!!)
奈良とカレー作りにお詳しい♪♪こんな出会いは滅多とないです><☆大淀町の児童文学作家 花岡大学さんの事もよくご存知で…もぅ。知識量の多さに私はただただ感服するばかりなのでした。

ちなみに、この時に相席させて頂いたかえいさんのブログはこちらです→「「作家と不思議なカレー」の話

「作家と不思議なカレー」の話

素晴らしいブログですので、皆様ぜひぜひアクセスしてみて下さい!!



バスは宇陀市を通って東吉野村へ…。

tetsudaさんをはじめ、南都銀行OBの方や奈良まほろばソムリエの会メンバーの方など錚々たる面々が参加されておられる中、私のような天誅組ど素人が混ざっていても大丈夫なのだろうか??とはじめは心配しておりましたが、東吉野村へ行くバスの車中でtetsudaさんが天誅組に関する入門的な解説をしてくださり、大まかな全体像を掴んでから実際の史跡を巡る事ができたので、大変助かりました。(事前に簡単な学習はしていったのですが…、説明して頂いたことでよりイメージを明確にする事ができました。)

ニホンオオカミの最後の捕獲記録が残る鷲家口には「ニホンオオカミの像」があります


そうこうしているうちに、(こちらは天誅組との関連はありませんが)ツアー最初の目的地「ニホンオオカミの像」の前にバスが到着しました。オオカミ像の周辺には観光バスを停めるスペースがないので、車内から像を眺めることになっていたのですが、オオカミ像とは反対側の席に座っていたので微妙な写真しか撮れませんでした^^;
一応載せておきますがっ(汗)

▼車窓から「ニホンオオカミの像」を撮影。
第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」 ニホンオオカミの像

う〜ん。これはまたいつか写真撮影のリベンジをします^^;!

◆ニホンオオカミの像建立にあたって◆(バスツアーで頂いたパンフレットより)

 自然環境の変化や人間の文化圏の広がりにより、多くの野生動物が地球上から姿を消してしまった。日本オオカミも今日ではわずかに残る剥製(はくせい)や骨格からその姿を想像するにすぎない。
 明治38年(1905年)当村において捕らえられた若雄(おす)のニホンオオカミが最後の捕獲記録となった。当時ここ鷲家口の宿屋芳月楼で地元の猟師から、英国より派遣された東亜動物学探検隊員米人マルコム・アンダーソンに8円50銭で買い取られ大英博物館の標本となっている。
 この標本には、採集地ニホン・ホンド・ワシカグチと記録され動物学上の貴重な資料として永く保存されるところとなった。
 かつて台高の山野を咆哮(ほうこう)したニホンオオカミの生存にかすかな夢をたくして、雄姿を像にとどめ、広く自然の愛護を願い、村の文化史を彩る貴重な遺産としたい。


ニホンオオカミが捕獲された付近の川は鷲家川と高見川の合流地点になっており、交通の要所となっていたそうです。そこにいた筏師に見つかり、ニホンオオカミは撲殺されてしまったそうです。

東吉野村役場に到着!


第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」

役場内では天誅組の関連本も販売されていました♪

▼東吉野村役場内から鷲家川と高見川の合流地点の様子を見る事ができます。
第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」

当時は沢山の筏が行き来していたのでしょうか?

▼役場前でツアーの開会式。
第12回古社寺を歩こう会「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」

現地ガイドは、郷土史家の阪本基義さん(同村教育委員会教育長)と上辻元治さん(天誅組150年顕彰記念実行委員会事務局)という最強の布陣!!東吉野村ご出身の前防道徳さん(NPO法人奈良まほろばソムリエの会)も大変分かりやすく興味深いお話を沢山してくださいました^^
お話の内容についてはこれから記事にしていこうと思うのですが…このペースでいくと、かなり長い記事になりそうな予感が((o△o))
とりあえず、今日は(目も痛くなってきたので…)一旦ここで区切っておきます。

次回は天誅組の志士達が眠る、明治谷(みょうじだに)墓地から記事を書きたいと思います!

「天誅組終焉の地・東吉野村を巡る」 その②(明治谷墓地〜上出垣内)」へ続きます!!
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2 Comments

かえい says..."No title"
真穂ちゃん こんばんゎ(o'∀'o)ノ))

虫が知らせたのか今ツィッターからこのブログに入りました。
なんとまあ !!! 私を美しく紹介して頂いているではありませんか。
有難うございます。
やっぱり、あなたのブログ写真はクリアーですね。
そして記事がまた良いです。
私も今日は全部フォトスケープで縮小、高品質を使って編集してみました。
がピント甘いです。
やっぱりあなたが言われたように画像が小さいからでしょうね。
また他の方法で挑戦してみますね。
では。
2013.06.21 20:56 | URL | #- [edit]
ヨシノ says..."No title"
●かえいさん●

かえいさんこんばんは〜(^▽^)/♪

>虫が知らせたのか今ツィッターからこのブログに入りました。
なぜかgoogleさんから嫌われているようなので…このブログの入口が今は2〜3個くらいしか無いようなイメージです^^;

かえいさんのブログ、楽しく読ませてもらってますよ☆
「奈良&カレー」なんて…私のどストライクです!!(笑)
かえいさんのラジオも聞いてみたいのですが…毎週火曜の5時にどっとFMに繋いだら聞けますよね(^^)! そちらの方も楽しみにしています♪

記事は色々試し中で…今回から、より見やすくする為に”見出し”をつけてみることにしました。これからも色んな工夫をしていけたらと思います!

画像については、オリジナルの画像から一部を切り出して使ってもぼけやすくなりますね^^;
なので、私はオリジナルの画像をなるべくトリミングせず、そのままブログサイズに縮小して使うようにしています。

これからも研究します〜^^
2013.06.22 21:21 | URL | #gquJYVHA [edit]

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