まいにち奈良づけ♪

奈良の話題を中心に、日々の出来事や制作の事などを気ままに綴っています♪奈良好きの方大歓迎です!
MENU

石室内に石棚を持つ珍しい古墳「槇ヶ峯古墳」(大淀町)

0   0

自分の地元の歴史とか史跡とか…、意外と知っているようで知らないことが多いんですよね〜。(←私だけかな;)
奈良検定のテキストに載るような有名なものならまだしも、地元のマイナースポット(というのは語弊があるかもしれないけれど)の事は私も含め地元の人も知らなかったり。灯台下暗しといいましょうか。近過ぎて見えていない。いや、"見ようとしない"の間違いかな?

なので、もっと地元のことに目をむけてみよう!あわよくば、地元マップ的なものを手作りしてみたい!と思い、去年から地元調査に乗り出したのでした。
地元調査の際は大淀町が発行している観光パンフレットを参考に、大淀町内を歩いて散策しています♪このパンフレット、結構良くできているのに存在を知らない人も多いので残念。

槇ヶ峯古墳 大淀町

何箇所か遺跡を見て来たのですが、今日は石棚を持った珍しい古墳「槇ヶ峯(まきがみね)古墳」の記事を書きたいと思います!
石棚を持った古墳といえば、平群町の「三里古墳」と下市町の「岡峯古墳」が奈良検定のテキストに登場しています。(槇ヶ峯古墳も文中でちょこっと出ていましたが…)槇ヶ峯古墳を見学していたおかげで、古墳ジャンルが苦手な私でもこの2つの古墳のことはすんなり頭に入れる事ができました。(残念ながら、試験には出なかったですけど…)


奈良県下では3例しかない珍しい石棚を持つ「槇ヶ峯古墳」を見学してきました!


石棚のある横穴式石室の古墳は、奈良県下では「三里古墳」「岡峯古墳」「槇ヶ峯古墳」の3例のみだそうです。その内の1つが大淀町にあったということも知らなかった私。地元民の名が廃れますね…

百聞は一見に如かず。その珍しい石棚を自分の目で見てみたいと思います。

「槇ヶ峯古墳」は大淀町新野区の共同墓地をぬけて、10分ほど急な坂を登ったところにあります。
※最後に位置情報を載せておきます。行き方はこちらのページが大変分かりやすいので、実際に訪れようと思っている方は参考にしてみて下さい。

槇ヶ峯古墳までは急な坂が続きます

「近鉄越部駅」から東へ川沿いに歩き、ホームセンターの「コメリ」を越えた先にある交差点を北へ左折し、すぐにまた左折して脇道に入ると槇ヶ峯古墳の案内板が立っています。

▼案内板には「槇ヶ峯古墳 これより340m」と書かれています。
槇ヶ峯古墳 大淀町

ここからはずっと坂道をのぼっていきます。

槇ヶ峯古墳 大淀町

▼坂の上から国道169号線を見下ろすと「コメリ」と「しまむら」が見えています。手前には皇帝ダリアがピンクの綺麗な花を咲かせていました。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼墓石がある方へ。上の坂を更にのぼっていきます。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼案内板には古墳までの簡易地図がぶら下がっていました。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼右側の坂をのぼっていきます。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼墓地の合間をぬって、更に上へと進みます。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼坂を上がりきったところで振り返って墓地側を撮影しました。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼木々の合間をぬって奥に進みます。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼竹林を更に奥へ。途中左に入る道がありますが、間違ってそちらに行かないように…(体験談)
槇ヶ峯古墳 大淀町

竹林の細道を抜けた先に「槇ヶ峯古墳」がありました!

途中少し迷ったりもしましたが、無事に発見!

槇ヶ峯古墳 大淀町

▼思っていたよりも綺麗に整備されていました!(今まで草ボーボーの古墳もいくつか見てきたので…)
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼古墳脇の案内板。
槇ヶ峯古墳 大淀町

案内板には以下のように書かれていました。(読みやすいように、一部改変しています)

槇ヶ峯古墳(槇ヶ峯1号墳)
(奈良県吉野郡大淀町新野)

 新野(にの)地区の丘陵には数基の古墳が点在している。そのひとつである槇ヶ峯(まきがみね)古墳は、標高200メートルの丘陵上に築かれた、直径11メートル、高さ2.6メートル以上の、約1400年前の古墳である。
 槇ヶ峯古墳は、付近でとれる結晶片岩(けっしょうへんがん)を積みあげた、全長約5.5メートル以上の横穴式石室を有している。石室は、南西方面に開いており、奥の部屋が長さ2.2メートル、幅・高さ共に約1.6メートル、手前の通路部分はすでに失われているが、長さ3.3メートル以上と推定される。また、石室の奥壁に寄せて、幅110センチ、奥行80センチ、厚さ約10センチの板石による、棚状の構造物「石棚(いしだな)」がみられる。
 石棚をもつ石室は、和歌山県の紀ノ川下流域に数多く見られ、奈良県内では、槇ヶ峯古墳、下市(しもいち)町の岡峯(おかみね)古墳、平群(へぐり)町の三里(みさと)古墳の3ヶ所でしか見つかっておらず、貴重である。この古墳は、紀ノ川下流域を本拠とした古代豪族の紀氏と、当時の吉野地域の交流を知る手がかりとして、歴史的な意義を有している。
 なお、この古墳を含む約455㎡の敷地は、平成18年8月8日、故橋本藤三郎(とうざぶろう)氏(上比曽)のご厚意により大淀町へ寄附をうけた。又、古墳の重要性が認められたことから、平成19(2007)年1月19日、町指定史跡となった。
 平成23年3月

大淀町教育委員会

古墳の中の石棚を確認してみました!

槇ヶ峯古墳 大淀町

▼案内板によると、<手前の通路部分はすでに失われている>とのこと。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼付近でとれる結晶片岩を積みあげたという、横穴式石室の内部。右奥に置かれているのは土嚢です。
槇ヶ峯古墳 大淀町

▼中を覗き込んでみると確かに石棚を確認する事ができました!
槇ヶ峯古墳 大淀町

石棚は<幅110センチ、奥行80センチ、厚さ約10センチの板石>で造られています。
石棚をもつ石室は、和歌山県の紀ノ川下流域に数多く見られるとのことで、紀ノ川下流域を本拠とした古代豪族の紀氏と、当時の吉野地域の交流を知る手がかりとなる、貴重な古墳なのだそうです。

篠山の古墳 岩井山古墳群」というページには<石室に石棚をもつ古墳は、全国に約140基あります。中でも和歌山県に最も多く、約半数を数えます。次いで九州地方に多く、約2割を占めます。>と書かれていました。

槇ヶ峯古墳 大淀町

この石棚にはどういった意味があったのでしょうか?

先ほどのページに、岩井山古墳群の石棚の使用についての記述がありました。転載させて頂きます。

石棚の用途
この石棚の用途は次の4つが考えられています。①屍床(ししょう)を覆うもの、②棺台となるもの、③石室を補強するもの、④棚の上に副葬品などをのせるもの。

①屍床を覆うもの・・・石棚の下を屍床とし(板石を置く場合がある)、そこに被葬者を安置することで、石棚は屍床を覆う役目をします。また、たつの市の大住寺古墳群大鳴支群大鳴3号墳のように、奥壁・側壁が石棺の側面の三方を兼ね、残りの一方を板石で覆い、石棚は石棺の蓋の役目をしたと思われるものがあります。

②棺台となるもの・・・石棚を棺台としてのみ利用したことが認められる古墳の例として、奈良県生駒郡平群町の三里古墳があげられます。三里古墳の石棚は、奥壁に組み込まず接しています。その石棚と奥壁の間から刀子片が2点検出しています。このことから棺台として利用されたと考えられています。

③石室を補強するもの・・・石棚を架設した本来の目的は、石室を補強するためであるというのがほぼ一致した意見です。そして、「羨道部を石室の中央部に設計した時点で石棚の補強材としての実質的使命は無くなった」と考えられています。

④棚の上に副葬品などをのせるもの・・・一般に低い位置に架設されて石棚は、棺台として利用したのではないかと考えられていますが、中村修氏は、石棚の下に棺を置き、上には副葬品を置いたのではないかと考えられています。中村氏は、岩井山3号墳の石棚を低い位置に架設されたものとし、岩井山3号墳の石棚は、「石室奥部を上下二室に分割していてその上に副葬品を置くこともできるので、≪被葬者の覆い≫と≪副葬品を置く棚≫を兼ね備えた≪祭祀棚≫」とされています。


平群町の三里古墳の石棚の用途は「②棺台となるもの」と考えられているようですが、槇ヶ峯古墳の石棚は何の目的で付けられたものだったのでしょうか?


■槇ヶ峯古墳の情報■

所在地 :奈良県吉野郡大淀町新野

地図はおおよその場所ですので、参考程度にお願いします。

より大きな地図で 【まほろぐ】奈良MAP を表示

アクセス:近鉄越部駅より 徒歩15分ほど
入場料 :見学自由
問合せ :0747-52-1522(町教育委員会事務局 生涯学習課)
駐車場 :なし
関連記事

SHARE

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://mahono28.blog.fc2.com/tb.php/89-695e79b6
該当の記事は見つかりませんでした。